絵師 三戒堂はあいの子だった

最近になって変だ変だと思っていた謎がとけたのです。
小学校では東京から川崎に転校すると、まだ田圃が残っていた溝の口近くでは、子供達が外
人がいじーんと大勢が叫んで、私に石をみんなで投げつけてきたことがあった。
学校でも外人らしいよと噂が流れていた。
どうも母が外人らしいというのだ。
最も多摩川を一つ挟んだだけだったが、東京の小学生は半ズボンだが、川崎ではケツミットで
補強してあるようなズボンだった。牛や豚の鳴き声が聞こえる川崎市高津区だった。だからし
かたないやと諦めていた。

髪の毛は茶色くて目は瞼が薄くて引っ込んでいるように見えると、でかい目に見えるのだ。目
つきが悪いとも言われていたが??

髪の毛は伸びるとウエーブが出てくるし、少しおかしいなとは思っていたんだが。

最近になって、父の祖母がフランス人で有ることが判明したの
だった。

そう言えば父もどことなくバタ臭かったし、物心着くときは朝はトーストにサラダそして紅茶という
状態で、戦後ろくな食べ物もない時代、父は食事の度に正式な料理はナイフとフォークがこう
置いて有るから外から順に使うようにと教えてくれていたのが、奇異な感じがしていたのだ。

私の姉が父の妹に尋ねると、「あんたそんなこと、いうんじゃないよ」っと凄い剣幕で否定され
て、やはり知っていたんだと直感したそうだ。

戦争になって、あの家族は毛とうの血が混ざっているといじめられたに違いない。

仙台が父の母方だし、カトリックの家系だ。修道女も出ている。明治の初めはフランス人が沢
山来ていたのだからあり得る話だ。
函館の五稜郭もフランス兵の作品だ。
横浜のフランス語学校では三ヶ月でしゃべれないと殴られたと言う記録もある。

父が目黒のサレジオ教会のミサに時々連れて行ってくれ、まだ完成してない塔に神父様が登
らせてくれたりしたことが思い出される。東洋のサンタマリアと呼ばれそのときは東洋一だと聞
いていた。石はイタリアから運ばせたと聞いていた。

やはり前世の縁だろうか。
家系の血が騒ぐのか
私は35歳になって急にフランス語がしゃべりたくなって
家も売り飛ばしてしゃにむにニース大学に留学してしまうという暴挙に駆られてしまったのだっ
た。

人生は全く
一刻先が闇ですね。
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